最近のゴールドシップはずいぶん白くなりましたが、やはりお尻や首のあたりを見るとグレーと白が模様になっているのがわかります。こういう芦毛を連銭葦(芦)毛といいます。
芦毛の競走馬は以前は走らないと言われて敬遠されたりしていましたが、日本では昔から芦毛の馬は大切にされてきました。神社の神馬はやはり真っ白が神々しい感じがしますし。
芦毛の中でも連銭葦毛は身分の高い武将の乗馬として歴史に残っています。
平家物語の巻第九「敦盛最期の事」には、源氏の攻撃から逃れようと須磨の海に乗り出す平敦盛の様子が描かれています。
練貫に鶴縫うたる直垂に、萌葱匂いの鎧着て、鍬形打ったる甲の緒をしめ、金作りの太刀を佩き、廿四さいたる切斑の矢負ひ、滋籐の弓持ち、連銭蘆毛なる馬に、金覆輪の鞍置いて乗たりける者一騎
(練貫に鶴を縫ったひたたれに、萌黄色で染めた鎧を着て、くわがたの飾りをした甲を身につけ、黄金で飾った太刀を身につけ、白い羽に黒いまだらの矢羽の矢を背負って、藤のつるを巻いた弓をもって、葦毛に灰色の模様のある馬に、金で飾った鞍を置いて乗っている武者一騎)
17歳の貴公子が黄金で飾られた鞍をおいた連銭葦毛に乗って波を切っていく様子が絵にも残されています。
他にも、平維盛・足利又太郎忠綱・長瀬判官代重綱など若い武者の晴れ姿に連銭葦毛が登場します。ただ、長井齋藤別当実盛は70歳を超えて連銭葦毛で出陣していますが、敗戦覚悟の戦に白髪を染めて若作りでした。
金覆輪の鞍を置いた連銭葦毛は若い貴公子を象徴する馬なのでしょうね。
あっ! でもこの馬たちはゴールドシップのようなサラブレッドではありませんが。
当時は木曽や奥州など主に東日本で名馬が産出されていましたから、平泉の藤原秀衡から木曾義仲に連銭葦毛が贈られ、義仲はそれを白山比咩〈ひめ〉神社に奉納したことが平家物語に記されています。
ちなみに日本で初めてサラブレッドを乗馬にしたのは加藤清正だそうです。
短歌:
葦毛馬に 金覆輪の 鞍置きて 敦盛最期は ただにかなしき
公達と 金覆輪の 鞍似合ふ 連銭葦毛も 今は競馬場